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2015年11月26日 【福岡東営業所】

名島の地域ガイド

IMG_0483 IMG_0484 そして名島は、歴史上のさまざまな名所名跡が 存在いたします。 まずは、名島海岸から紹介いたします。 玄界灘・博多湾を一望できるとても爽快な風景です。 IMG_0489 少し歩くと名島水上飛行場跡があります。 名島にあった水上機専用の飛行場として 1930年(昭和5年)3月に開港いたしました。 日本航空輸送により大阪、中国、朝鮮、台湾方面への 航空路が開設され国際空港として機能していたのです。 1931年(昭和6年)9月17日に、 世界一周中の飛行家のリンドバーグと妻を乗せた 『シリウス号』が来訪したことは、この飛行場のハイライトでした。 その後、陸上機の離着陸が不可能であったため、閉鎖されました。 跡地は完全に埋め立てられ住宅地となり 記念碑と『リンドバーグ通り』の名が残っております。 IMG_0486IMG_0488 国指定天然記念物『名島檣(帆柱)石』 香椎宮の社伝によると、3世紀ごろ、 神宮皇后が新羅・高句麗・百済へ三韓征伐の 出兵を行って凱旋した後に、 この地に置かれたという軍船の帆柱が、 今も9個の円柱状をした化石となって 残っているという伝説があります。 (考古学的には皇后の時代よりはるか前の 約3500万年前頃の地層から出土した カシ属の木の幹だと言われております) IMG_0491 IMG_0492 また、神宮皇后にちなんで安産・良縁を祈願する 縁石があり、それらを願い方々が日々訪れてきます。 (写真の撮影を失念いたしました…すみません) そして小高い丘を登ると、名島城跡があります。 名島城は、豊前国の戦国大名大友氏の庶流であった 立花氏当主立花鑑載が立花山城の出城として築城されました。 1587年(天正15年)に島津氏を降伏、九州平定した豊臣秀吉は、 筑前国と近隣諸国を毛利氏の重臣の小早川隆景に与えました。 小早川隆景は城地の選定にあたり、 海に近く水軍の本拠とできる城の築城を計画し、 この立花山城の出城であった名島城を大改修して居城としたのです。 文禄・慶長の役の際には豊臣秀吉が淀殿を伴い、 この城に立ち寄り宿泊しているとの史実があります。 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に、黒田長政が入城しました。 しかし、長政は立地的に城下町の整備の余裕がない理由で 名島城を廃城とし、福岡城の築城を決めました。 福岡城の築城に際し、名島城の建物は建材として、 石垣は石材として持ち出され、福岡城の資材となりました。 また城の一部が移築され、『名島門』の名で 大濠公園と平和台陸上競技場の間に現存しております。 この名島城跡内の敷地に、名島神社があります。 前記しました神功皇后が、 名島海岸より、三韓への遠征の折にこの地より宗像三女神を拝し、 遠征の無事を祈られました。 その祈願成就のお礼として宗像三女を奉ったと伝えられております。 IMG_0494 IMG_0495IMG_0500 以上、緑が多く伝説が多く存在する、趣のある街の名島。 次回は、オススメのスポットを紹介させていただきます。 【名島 賃貸】 【名島駅 賃貸】のことならアルコにおまかせ下さい!! btn_shop]]>